ホームページのキャッチフレーズに「日常を小説形式で」なんてするからには、やはりその文言にふさわしく、最初の投稿くらいは真面目に小説形式で綴ろうとは思う。
あれはおそらく今から四、五年前のことだっただろうか。
名古屋駅の新幹線ホームで列車を待っていた時の話だ。
その日は用事があって名古屋に訪れていた。帰宅するために東京方面の新幹線を待つ。
線路を挟んだ向かい側のホームには、幼児園児くらいの女の子とその母親と思われる人物がいるのが見えた。もちろん見知らぬ人だ。
その二人は新幹線の扉付近にあるデッキで見送りに来たおばあさんにお別れをしているようだった。
母親は手を振り、お辞儀をしている。
時折、目のあたりをこすっているようにも見えたので、涙を流しているように見えた。
一方、子どもはというと、もうこれ以上ないくらいに泣きじゃくっているではないか。
目から次々と涙がこぼれ落ち、両手でぬぐうけれども全く追いつかない。
この光景を目の当たりにして、別に感動するどころか噴き出して笑いそうになった。
いかにもドラマなどでありそうなお別れシーンだったからだ。
女の子は嗚咽交じりに泣きわめく。
女の子がこれでもかというくらいにあまりに悲しんでいるので、おばあさんとは最期の別れだとでも思っているのかもしれない。
その子の母親は娘の頭を優しくなでて慰めていると、新幹線の発車のベルが鳴った。
扉はゆっくりと閉まる。
母親は窓からホームを見られるよう女の子を抱え上げた。
新幹線が発車してもなお、二人は手を振り続けていた。
ホーム上にいるおばあさんも手を振っているようだ。
こちらから背を向けた方向であるため、そのおばあさんの顔はうかがえない。
こんな感動的な場面に遭遇した人の表情はどんなものなのか非常に気になった。やはりおばあさんも涙を流しているのだろうか。
そう思った頃にはおばあさんは、もう歩き始めていた。全くと言っていいほど余韻に浸ることなく、すたすたと足早に歩いていく。
改札へと向かう階段に差し掛かったところでおばあさんの顔が見える。
それは「無」だった。
感情のない「無」の表情だった。
これは見てはいけないものを目にしてしまったと瞬時に思った。
おばあさんは階段を下りていき、やがて姿は見えなくなった。
そして新幹線はみるみる加速してホームを抜けていったのだった。
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